坂口安吾・戦中から戦後へ――「土の中からの話」を中心に――

藤原耕作

 戦後の安吾というと、「『堕落論』(昭和二一)と『白痴』(同)とによって、一挙に流行作家となった」(磯貝英夫「文学における戦後」)といった記述が一般的で、実際、ごく大づかみにいえばその通りなのだろう。しかし戦後の安吾の歩みは、昭和二一年四月の「堕落論」や同六月の「白痴」から始まったわけではない。すでに昭和二〇年一〇月には「露の答」が発表されており、同年中には「土の中からの話」が書かれ、「咢堂小論」が起筆されていたと見られる。昭和二一年一月には「わが血を追ふ人々」が発表され、二月までには「咢堂小論」や「焼夷弾のふりしきる頃」が脱稿されていたのではないかと思われる。三月には「地方文化の確立について」「朴水の婚礼」「処女作前後の思ひ出」が発表されていた。その後「堕落論」「白痴」で飛躍があったとしても、それは突然行われたものではなく、戦後それまでに書かれ発表されていた、これらの作品における助走と、やはり深く関わる側面を持つもので あったはずだ。
 しかしこれらの作品はこれまであまり注目されてきておらず、したがってその助走から飛躍への過程の内実も、充分に明らかにされてきているとは言えない。ここではこれらの中から「土の中からの話」を取りあげ、戦後の状況との関わりにおいてこの作品を読み解くとともに、これが後の飛躍とどのように関わっているのか、多少なりともヴィジョンを示すことができればと思う。

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