「三十歳」における虚構について(二)
――「女の人」という言い方――

浅子 逸男

「この女の人はもう僕の心に住んでゐない」とまで記したが、「戯作者文学論」(昭和22・1)、「二十七歳」(昭和22・3)、また「三十歳」(昭和23・7)で色濃く甦っている。矢田との別れを書いた「三十歳」には興味深い回想がある。安吾は「女」と書くとき、つい矢田津世子に言われたことが気にかかって「女の人」と書き直してしまうというのだ。そう意識して書き直したというのは「青春論」の矢田があらわれる箇所ではないだろうか。いや、矢田にたしなめられたことを意識してしまうと「三十歳」に書かれたエピソードは、まさに「青春論」を書いているときのことであろう。「ある女の人」「その女の人」「この女の人」と繰り返し使われ、「この人」あるいは「その人」で通用するにもかかわらず、「女の人」を多用しているのだ。どうしてこのような異様な書き方をしたのか考察する。

inserted by FC2 system