「三十歳」における虚構について

浅子逸男

 「青春論」では、矢田津世子の名は出していないが、あきらかに矢田を思わせる女性について回想されている。それは再会したことなどを記した「三十歳」で確認できる。
 「三十歳」の書き出しは、

 冬であった。あるいは、冬になろうとするころあった。私の三十歳の十一月末か十二月の始めごろ。

となっていて、何年なのかという記述はない。主人公の私が三十歳だというだけである。この日、矢田津世子が訪れてきたというのだ。三日後に会う約束をして大井町で別れる。三日後のことは記されず、時間経過がわかるのは次の文章である。

 私は年が代ると、すぐ、松の内のすぎたばかりの頃であった思いがするが、母の住む家をでて、本郷のKホテルの屋根裏へ引越した。(略)
 私たちは、三十分か、長くて一時間ぐらい対座して、たったそれだけで十年も睨みあったように、疲れきっていた。別れぎわの二人の顔は、私は私の顔を見ることは出来ないけれども、あなたのヒドイ疲れ方にくらべて、それ以下であったとは思わない。


 このあと決別の文章に変わり、別れたあと、矢田津世子に宛てて訣別の手紙を送ったところ、二・二六事件のために戒厳令がしかれ郵便物は開封されており、矢田宛書簡も無惨なことになっていたはずだという結末である。
 しかし、二・二六事件は昭和十一年、矢田との別れは昭和十二年である。
 このズレは何なのであろうか。
 ひとつの推測をこころみたい。

inserted by FC2 system