「諷刺」への拒否感―坂口安吾「茶番に寄せて」と同時代言説から―

佐藤貴之

 坂口安吾は「茶番に寄せて」(「文体」一九三九・四)において、純粋な「笑いの精神」である「道化」について語る際、対比的に「諷刺」を強く批判している。合理精神に基づく「諷刺」は所詮揶揄に過ぎず、「極めて貧困」だと言うのだ。荒唐無稽な「道化」を推奨し、寓意や涙に裏打ちされた「喜劇」を退ける安吾の姿勢は「FARCEに就て」 (「青い馬」一九三二・三)から一貫したものとは言えるが、なぜこの時期、殊更に「諷刺」への拒否感を表明したのだろうか。恐らくそこには、同時代に話題となった「諷刺文学」に対する意識があったと思われる。
 本発表では、まず昭和十年前後の「諷刺」に関する言説を確認していく。その上で獅子文六や小熊秀雄、尾崎士郎、伊藤整らの「諷刺」についても触れ、それらと並べる形で安吾の〈笑い〉の位置をはかってみたい。対立項としての「諷刺」の分析は、安吾の「ファルス」を逆照射することにもなるのではないかと考える。

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