戦後に届くことば―坂口安吾・石川淳・小林秀雄

大原祐治

 小林秀雄を補助線としつつ、坂口安吾と石川淳について考えてみようと思う。この三者の名を並べる必然は、「歴史」が文学/哲学/歴史学の領域を横断しながら議論された一九四〇年前後に、彼らがそれぞれの形で「歴史」に関わる文章を記していることにある。
 歴史小説「イノチガケ」(一九四〇年)を書いた坂口安吾は、「たゞの文学」、「文芸時評」(いずれも一九四二年)に独自の歴史小説観を記した。『森鴎外』(一九四一年)で鴎外の史伝について思考し、自ら歴史小説「渡辺崋山」(一九四一年)などを書いた石川淳もまた、「散文小史。一名、歴史小説はよせ。」(一九四二年)、「歴史小説について」(一九四四年)といった文章に、歴史小説に関する屈折を孕んだ思考を記した。「歴史について」(一九三九年)において有名な〈死児を想う母〉の比喩で歴史のテーゼを語り、その後、古典に沈潜しつつさらに「無常といふ事」(一九四二年)などで「歴史」について語った小林秀雄の言葉に照らすとき、安吾と石川淳の「歴史」観にはどのような特異性を読み取ることができるだろうか。
 さらに、戦時下に記したこれらの言葉が戦後になって彼ら自身のもとに届くとき―すなわち自らの言葉が「歴史」化されるとき、彼らは、そのことばにどのように向き合うのか。小林が、かつてのテクストに少なからぬ修正を加えつつ単行本『無常といふ事』(一九四六年)を刊行し一定の沈黙を保つとき、安吾は「教祖の文学」(一九四七年)で、小林は歴史=古典の鑑定人であると断じ、「文学は生きることだよ。見ることではないのだ」と批判する。一方の石川は一九六〇年になってから、「戦中遺文」と題したエッセイで、戦中に記した自らの文章を吟味するが、その作業は「昨日の回想の中に、むしろ今日を見るためである」とされる。
 共軛性を持ちつつ対照的でもある坂口安吾と石川淳の思考について、以上のような観点から問題提起を試みたい。

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