「安吾の新日本地理」の成立過程

原 卓史

 坂口安吾「安吾の新日本地理」(『文藝春秋』一九五一年三月〜一二月)は、文献を読み、現地取材をし、土地々々の文化、町並み、風物、山河、歴史、言葉などを一貫した狙いを持たずに書いた作品である。従来、顧みられることの少なかった作品で、「安吾巷談」と「安吾史譚」の過渡的作品、もしくは歴史への挑戦といった捉え方が一般的であった。近年、綿密な研究が提示されるようになってきてはいるものの、年譜、典拠研究、成立過程の検討など、基礎的な作業に就いて、考察の余地は残されているように思われる。
 そこで、本発表では、一九五一年当時の年譜の検討を行うことからはじめ、どのようなサイクルで文献を読み、現地取材をし、そして読んだものや見聞きしたものを纏めていったのか、「安吾の新日本地理」の成立過程について考察していく。重松恵美氏が「石川淳『夷齋俚言』論(五)―「革命とは何か」に見るアランの思想―」(『梅花日文論叢』二〇〇五年三月)の中で、石川淳の〈夷齋もの〉と安吾の〈安吾もの〉との比較検討を行っており、この問題も射程に入れつつ考察してみたい。

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