1940年代の歴史意識と坂口安吾

成田龍一

 「坂口安吾と歴史」を考えることは、坂口安吾が、1945年の歴史と歴史意識の転換をどのように跨ぎ越したかということ、そしてその意味を考えることにあるだろう。1930年代の歴史学は、マルクス主義の台頭により、いわゆる講座派の歴史学が登場し、講座派に対抗する皇国史観が立ちあらわれ、従来よりの実証主義の歴史学とあわせて三派が鼎立する状況にあった。しかし、安吾が最初の歴史小説「イノチガケ」を発表した1940年には、マルクス主義は表立っては活動できなくなり、歴史学は、足早に皇国史観と実証主義との二派並立の様相となっていった。とともに、戦時において直接に現在を書くことが困難となるため、発言者にとって歴史が好んで素材となり、歴史を語る行為は対抗と抵抗、翼賛と迎合を抱えこむ状況にあった。
 しかるに、1945年の敗戦は歴史のイデオロギーを180度転換させ、皇国史観が追放され、マルクス主義が復活する。マルクス主義と実証主義との共同の「戦後歴史学」の登場である。しかし、ここでも歴史を語る行為が「戦後」を語ることとなり社会の共役的な思潮を代表し、(皇国史観とマルクス主義の交代にもかかわらず)歴史を語ることの意味自体は変わっていない。
 ここを跨ぎ越したのが安吾であった。安吾の戦時と戦後の歴史への注目と発言は、(同時代人としては稀有に)イデオロギーの転換のなかで変化をしていないように見える。45年をはさんで、そこを貫く安吾の歴史意識をいかように見ることができるか――このことは、戦後の歴史学が消去してしまったものがなにかを考える際の手がかりを提供し、歴史の語りをめぐる問題系を考えるうえでの示唆をあたえているように思う。戦時にキリシタン研究にふれ、戦後に織田信長に着目する安吾の歴史観や、歴史家と探偵を重ねて考える歴史把握(「歴史探偵方法論」1951年)の持つ意味は、現在、歴史を考察するうえでの論点を示していると思う。
 このような問題意識のもとに、当日は、45年をはさむ歴史学と歴史意識のありようをおさえたうえで、安吾の歴史意識に接近して見たい。

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

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