国家の境界/個人の輪郭

関谷一郎

 研究会のおかげで安吾に対する興味は倍増した気がするものの、ナショナリズムなどには現在ほとんど興味がない(ゴメンナサイ)。にもかかわらず、つい研究発表など引き受けてしまったのは、以前「解釈と鑑賞」(平11・9)に「如是我聞」論を書いた際に考えた問題を引きずっていたせいだった。国家や民族のアイデンティティにからむ境界問題それ自体を論ずる興味も気力も失せているものの、一個人のアイデンティティにまつわる存在の輪郭の問題にはひとしお惹かれている。
 他国の侵入から免れやすい島国日本に対応するかのように、志賀直哉の世界は自身を相対化する等身大の他者が存在せずに閉塞している。しばしば指摘されるとおり、<自己閉塞>した未成熟な個我の在り方を想起すれば、我々日本人は程度の差はあれ皆<志賀直哉>だと言えよう。外(世界)に向かって開こうとした革命運動を圧殺した勢いを反転させ、ひたすら観念化した<日本(人)>を純粋培養した昭和十年代、太宰治は内閉する社会の求心力を内圧に転換することによって、葛藤・反問を繰り返しながらも自己の輪郭を保ちえたと言えよう。現実のネガティヴな状況が、いわゆる中期太宰の心ならずもの安定を生んだという側面は否定しがたい。
 敗戦によって周囲の締めつけ(輪郭づけ)が外れたとき、太宰はそれまで抑圧していた安定に対する自己嫌悪の情を発散させながら、自己否定の道を急ぐ。やむなく家庭に閉じていた己れに重ねつつ、志賀をはじめとする「老大家」たちが依拠する「家庭のエゴイズム」という<自己閉塞>を、イエスの説く「隣人愛」によって撃ったのが「如是我聞」である。
 太宰と安吾とは「無頼派」などというクサイ括り方を超え、自己の輪郭を強化しつつ他者を弾き返す志賀直哉・三島由紀夫といったオス(雄)ラインを相対化し、個我の輪郭やナショナルな境界をズラそうとしたという点においてこそ再検討・再評価すべきだと考える。ビンボーヒマナシの状況下、安吾の方はこれから検討するので、「日本文化私観」以外には何に言及するか予告できないことが申し訳なくて……

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

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