坂口安吾と二つの日本ルネッサンス

山城むつみ

1. 日本では1930年代にルネッサンスが論議された。その文脈には日本資本主義論争があった。講座派は、近代日本の市民社会に存在する前近代性を「封建的残滓」ととらえ、これをいかに近代化するべきかを当面の課題とした。講座派(たとえば羽仁五郎)の周辺にあった知識人はその問いにおいてルネッサンスを再考したのである。福本和夫の日本ルネッサンス史論も基本的に同じ場所から構想されている。

2. 同じ頃、花田清輝も西欧のルネッサンス人に関するエッセイを連載していた。しかし、花田の議論には講座派系のルネッサンス論から逸脱する可能性が含まれている.花田は、近代日本の市民社会に存在する前近代性を、近代化されるべき「封建的残滓」とは考えなかった。近代を超えるための「スプリングボード」ととらえた。

3. 花田は日本のルネッサンスを16世紀から19世紀初頭、福本は17世紀中期から19世紀中期に見出した。二つの時期のずれは、資本主義を何によって識別するかに対応する。福本が着眼したのは、資本-賃労働関係である。他方、花田がルネッサンスを見出したのは、貨幣経済の普及により商業資本(貨幣-商品関係)が発達した時期に当たる。

4. 坂口安吾は日本資本主義論争に関与しなかった。ルネッサンスのことも考えていなかった。キリシタン殉教者の「イノチガケ」に、人間を動かす不合理なまでの合理性を見ただけである。しかし、彼らを運んだのは、地球の表面に拡張していく世界資本主義の膨張力である。安吾は彼らの「イノチガケ」に眼を凝らすことで、人間の意識と存在を貫徹し動かしているこの不可解な力を問うていたと言える。その意味では、安吾もまた資本主義のことを考えていた。そして、安吾が見出した16世紀は、花田が日本のルネッサンスを見出した時代に重なる。

5. 安吾に比べると、福本と花田、両者の日本ルネッサンス論には世界システムヘの視線が欠けている。彼らとちがい、世界資本主義の波打ち際で日本の封逮遺制を考えていた安吾は二つの日本ルネッサンス輪に世界システムヘの視界をひらいている。世界資本主義というグローバルな観点に立つとき、近代日本における前近代性は、未だ近代化されざる「封建的残滓」ではありえない。他方、近代を超えるための「スプリングボード」にもなりえない。

6. 花田に比べると、安吾には「近代の超克」という視線が欠けている。福本も「近代の超克」という修辞では考えなかったが、資本-賃労働関係の揚棄を考えていた。前近代の否定は、単なる近代化の推進ではなく同時に近代をも否定するものでなければならない。その近代の否定は「近代の超克」ではなく、資本主義をグローバルな規模で揚棄する運動でなければならない。

2000.9.9

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

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