「堕落」と「運命」
――坂口安吾「堕落論」と保田與重郎的「デカダンス」の関係をめぐって――

福岡弘彬

 本発表では、坂口安吾「堕落論」(「新潮」昭21・4)を、戦後の壊滅的状況における、混乱を伴った言語行為として捉え、そこで「堕落」という言葉がどのように繰り出されるかを問題化したい。「歴史」や「運命」に抗いつつも、空襲の圧倒的な「美」の記憶に取り憑かれている「堕落論」の「私」は、その記憶の中心で、「堕落」という言葉を手繰り寄せている。この「堕落」とは、保田與重郎が戦時中に唱えた「デカダンス」の美学――死に逝く者たちの姿の美しさを抽出し、「運命」を自然化した美学――との葛藤・抗争の果てにもぎ取られた言葉であった。「デカダンス」の可能性を戦前から感知していた安吾は、保田の「デカダンス」から「堕落」をいかに奪還したのか。また、眼前に広がる「堕落」を、未決の未来へと連なるものとして、どのように抱え込もうとしたのか。考察したい。

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