安吾文学と〈軍事〉
――一九四二年上半期の諸言説を手がかりに――

山根龍一

 かつて磯田光一(『ユリイカ』一九七五・一二)や加藤典洋(『日本という身体』一九九 四)は、「金属回収令」(一九四二)や「勤労新体制確立要綱」(一九四〇)との類似を「日 本文化私観」(一九四二、以下「私観」)に看取し、近年では平岡敏夫(『坂口安吾研究』二 〇一四)が、戦闘機や駆逐艦をめぐる「私観」の美意識をあらためて問題化している。こ れらが示唆するのは、〈軍事〉の論理を前景化する時局(戦時体制)と「私観」の親和性で あるが、真珠湾攻撃指揮官の談話に「敬服」の意を表する安吾「文章のカラダマ」(一九四 二)から窺われるように、時局との親和性は「私観」一篇にとどまる問題ではない。 こうした問題意識のもと、発表では、「軍人」「兵器」「戦記」等をキーワードとする対英 米開戦直後の同時代言説と安吾作品を比較することで、安吾文学と〈軍事〉の関係を再検 討する。

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