退屈、あるいは、ありふれた生―坂口安吾「花妖」における金銭と遊びをめぐって―

狩俣真奈

 「花妖」は、坂口安吾が初めて手がけた新聞小説で、一九四七年二月一八日から五月八日まで『東京新聞』に連載された。安吾はこの作品の執筆に熱意を燃やしていたが、結局新聞社側の申し出により、五八回をもって打ち切られることとなっている。その理由としては、読者受けが良くなかったことや、岡本太郎の挿絵が斬新であったことが挙げられてきたものの、その内容に即して研究されることはこれまでほとんどなかった。これは、作中にしばしば急いで執筆されたような荒削りな文章が見られることや、未完であるがゆえの論じにくさによるものだろう。
 つまり、「花妖」は、安吾の戦後における目覚ましい活動と多作のなかに埋没してしまっている感があるといえるが、この作品に繰り返しあらわれる「退屈」といった表現は、安吾の他作品にも見られ、とりわけ戦後において顕著となっているものなのである。発表では、この「退屈」を中心にして、作中における金銭や遊び、あるいは眠気といったものについて考察する。

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