変貌する「妻」―太宰治「ヴィヨンの妻」から映画「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」へ

井原あや

 太宰治「ヴィヨンの妻」(『展望』一九四七年三月)は、発表当時から「力作」(青野季吉、伊藤整、中野好夫「日本文壇の悲劇」『群像』一九四七年六月)、「敗戦後のおびただしい仕事のなかで、特に注目すべきものは『ヴィヨンの妻』『斜陽』『人間失格』の三篇であらう」(臼井吉見「太宰治論」『展望』一九四八年八月)というように高い評価を得ており、現在も太宰の代表作の一つとされる小説である。この「ヴィヨンの妻」を原作として、太宰生誕百年にあたる二〇〇九年、映画「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」(監督・根岸吉太郎、脚本・田中陽造、主演・松たか子、東宝)が公開された。映画は第三三回モントリオール映画祭で最優秀監督賞を受賞したこともあって、概ね好評であったが、この映画の中で主役の「妻」はどのように描かれ、まなざされたのだろうか。
 本発表では、小説「ヴィヨンの妻」と映画「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ〜」を並べつつ、映画が他の太宰作品を織り込んだことによって、いかなる「妻」を描き出したのか検討していきたい。

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