同時代から見る〈愛〉と〈孤独〉―坂口安吾「紫大納言」を中心として

若松 伸哉

本発表では石川淳が一九五八年七月に『中央公論』に発表した「修羅」を論じたい。
同年の三月に発表された「八幡縁起」以降、歴史的題材を用いながらそれを改変し、また権力者が創造した〈歴史〉を批判するというのが石川の小説のモチーフとなっていく。「修羅」もこれに連なるものである。
「八幡縁起」では古代が中心に舞台に取られているが舞台設定がまだ抽象的であった。それに対して「修羅」は戦乱の世を背景に山名氏豊の娘・胡摩姫を主人公にして舞台設定をより具体的にしている。「八幡縁起」と「修羅」の間にも変化が見られる。
本発表では〈歴史〉への批評が「修羅」で発展したことが石川淳の文学活動の中でどのような意義があったかを検討したい。また先行論が指摘するように主人公が〈姫〉であるということも考慮する必要があろう。あわせて坂口安吾の〈歴史〉への意識とも比較をする中で石川の独自性や共通性を検討していきたい。

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