同時代から見る〈愛〉と〈孤独〉―坂口安吾「紫大納言」を中心として

若松 伸哉

一九三八(昭和十三)年七月、坂口安吾は長編小説『吹雪物語』を竹村書房より書き下ろしで刊行した後、三好達治が主宰した文芸雑誌『文体』に、「閑山」(一九三八・十二)、「紫大納言」(一九三九・二)といった説話体の小説を発表している。この両作品は一九四一年四月にスタイル社より刊行される短篇集『炉辺夜話集』に収録され、その「後記」において安吾は、「「炉辺夜話集」に収めた五ッの物語は「吹雪物語」の暗さにうんざりしたのち、気楽に書いた短篇をまとめたものです」と書き付けている。
 〈失敗作〉「吹雪物語」から新たな試みとしての説話体小説へ、安吾自身の言や伝記を参照すれば、そのような流れが導き出されてくるのであるが、本発表では作家論的な考察からいったん離れ、同時代の文脈のなかに安吾作品を置き直すことで見えてくるものを考えてみたい。
 もう少し具体的に見通しを示しておく。本発表では主に「紫大納言」を対象として、この作品に描かれる〈愛〉と〈孤独〉について中心的に考察を行う予定である。愛と孤独という問題については「吹雪物語」においても大きなテーマとなっており、安吾と矢田津世子の恋愛の反映を見るのが常であった。しかし、同時代の文壇のなかで発信された言説を見る限り、〈愛情〉の問題は当時とりわけ言及されるテーマの一つであり、同時代一般へと開かれる可能性を持つものである。こうした同時代言説と比較することによって、同時代における本作品の独自性を今回多少なりとも明らかにすることができればと考えている。また、こうした観点から、「紫大納言」と同時に『文体』一九三九年二月号に掲載された太宰治「富嶽百景」との比較なども視野に入れる予定である。

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