剣豪小説黎明期における「女剣士」―五味康祐「喪神」からの触発―

牧野 悠

「柳生連也斎」などの剣豪小説で知られる五味康祐は、「喪神」によって第28回芥川賞を受け、文壇デビューを果したが、その選考において、熱烈な支持を表明したのが坂口安吾であった。安吾は、「喪神」を評し、「剣士や豪傑については日本古来の伝承的話術があり、この作品はそれに即している如くであるが、実はそれに似ているだけで、極めて独創的な造形力によって構成された作品である」とし、「非凡の才能」と賞賛を惜しまない。その意味では、「喪神」を嚆矢とする昭和三十年前後の「剣豪小説ブーム」を安吾は予見していたといえる。
 安吾がブームにさきがけ、新人五味に対抗してものしたと位置づけられるのが、剣をモチーフとした「女剣士」である。安吾は、人格形成過程において、忍術や剣術に対し、多大な興味を持っていた。だが、「女剣士」以前のチャンバラの描写では、講談のスタイルからの脱皮が見られなかった。安吾は、ブームを五味の登場前から予見していたとはいえるものの、戦後に適応した、新しい剣戟描写、すなわち剣豪小説流のフォーマットを、持たなかったと考えられる。「女剣士」は、新人の作品である「喪神」を見ずして、成立し得なかったといえるのである。
 しかし、五味は、「喪神」を「十日で書き上げたもの」と述懐しており、その成功の背景には、典拠として使用した剣術史料の内包する、「伝承的話術」のリアリティが、秘訣となっている。ブームの初期に於いて、「眠狂四郎無頼控」の柴田錬三郎の採った方法も、五味と酷似している。両者のオーソドックスな剣豪小説作法と、安吾が用いた方法を比較し、剣豪小説最初期における「女剣士」の位置を考察するのが、本発表の目的となる。
 また、「女剣士」では、独特の「剣の思想」が語られており、先行研究では、「安吾的発想」として処理されてきた。だが、その思想は、「喪神」で展開される剣の極意を敷衍したものであることを、両作を併読することで明らかにしたい。

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