安吾と王朝物語文学―「紫大納言」を中心に―

三品 理絵

「紫大納言」には、昭和一四年二月「文体」に発表された初出版と、二年後(昭和一六年)に刊行された作品集『炉辺夜話集』に収録された版があり、両者の異同についてはこれまでも検証がなされているが、ここでは以下の二点に注目したい。一つは、両者の描写における明らかな色彩の変化、すなわち、改訂版に見られる鮮やかな「赤」のイメージに対し、初出版を彩るのはあくまで「月の女」の「白」と「透明」、及び「紫大納言」の「紫」であることである。もう一つは、「月の女」に魅せられ萎縮し、さめざめと泣き、「罪の意識」に苛まれる初出版の大納言の姿が、改定版で描かれる行動的な好色漢とは異なり、なよやかでやわやわとした、歌物語や作り物語の「色好み」の主人公を彷彿とさせることである。そして、これらの異同は、単なる加筆修正にとどまらない、静謐な「諦観」の物語から過剰さに満ちた「悪戦苦闘」の物語へという大きな転回を示している。
関井光男「伝記的年譜」(『定本坂口安吾全集』第一三巻、昭和四六・一二、冬樹社)に示されているように、安吾は「閑山」(昭和一三)の執筆以後、相当の古典を読んでおり、「かげろふ談義」(昭和一四)では「松浦宮物語」についてふれている。「紫大納言」の典拠として、平安の盗賊たちの横行ぶりを描く「今昔物語」や「近江県物語」がよく言及されるが、初出版に関しては、それ以上に「竹取」「伊勢」「松浦宮」といった、作り物語や歌物語など王朝物語文学の世界の影響が色濃く見られるように思う。特に、「松浦宮物語」からの示唆は大きいのではないだろうか。
今回の報告においては、「紫大納言」の二つの版の検討を起点に、その構想の中にあった安吾の王朝物語文学への関心について考えてみたい。その際、同時代の試みとしてあった堀辰雄の王朝物語文学翻案との比較を通じて、安吾独自の古典受容を考える試みとしたい。

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