連綿たる支配/被支配の呪縛――「桜の森の満開の下」という空間――

黄  益九

 坂口安吾「桜の森の満開の下」は『肉体』(1947年6月)に発表された作品であるが、その前に、暁社発行の『暁鐘』(1946年)11月号には編集までもすまされた状態ですでに収録されていた。つまりテキストの執筆と発表の間には半年以上のズレが生じている。
 今回の発表はここから出発する。テキストのこの執筆と発表とのズレに関する事実を契機に「桜の森の満開の下」が発表され、読者に読まれていた敗戦直後の時代状況とテキストの内部に刻み込まれている物語のプロットとを照らし合わせる方法を取り入れながら、そのアナロジー性を検討し、テキストに同時代の意味作用がはたらいていることを浮き彫りにしていきたい。その方法をとおして坂口安吾が意識していた〈怖ろしい〉桜のイメージがどのように形成され、テキストにいかなる意味を与えているのかも考察していく。
 まず、時代のアナロジー性を究明するためテキストに表われている二つの支配/被支配関係(桜の森/男、女/男)をテキストの執筆(発表)当時の時代状況と照応し、その暗喩関係を検討していく。そして「女」の両義性(相反するものの一致)の問題が、敗戦直後の読者に価値の多様性を呼びかける論理としてはたらいていたことを確認していく。さらに、桜の〈怖ろしい〉イメージの形成過程を考察しながら、その背後にほのめかされている一義的価値への信奉がもたらす危険性をたどっていく。そこで坂口安吾の深い反省と同時代の意味作用を捉えていきたい。

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

〈これまでの活動〉に戻る
inserted by FC2 system