安吾の自伝的小説執筆の意図をめぐって――スタンダールとの関連性から――

岩舩 尚貴

 坂口安吾は「堕落論」、「白痴」などによって一躍流行作家となった昭和21年から23年にかけて集中的に自伝的小説を手がけている。安吾にはこれらの自伝的小説群を一つの長編作品としてまとめる構想があったというが、なぜ、彼は文壇の寵児となり得たこの時期に多くの自伝的小説を手がけたのだろうか。矢田津世子との恋愛の葛藤を描いた自伝的小説「二十七歳」の中には次のような記述がある。
 私は戦争中に自伝めく回想を年代記的に書きだした。(中略)私がこの年代記を書き出した眼目は二十七、それから三十であつた。つまり、矢田津世子に就てゞあつた。
  また、一連の自伝的小説群について創作集『いづこへ』の「あとがき」で安吾は次のように記している。
 「石の思ひ」に始まるいくつかの自伝的な意味をもつ作品がある。然し、これが自伝であるかといふことよりも、かういふ風に書かれたこと、書かねばならなかつたこと、私自身にとつては、意味はそれだけ。これは私の文学なのだから。
 これらの安吾の言葉から見えてくるものは、自伝的小説で最も書きたかったことは「矢田津世子に就て」であり、それを「書かねばならなかつた」ということである。私はここで矢田津世子を自らの自伝に登場させたことに対して、作品中にも出てくるフランスの文学者スタンダールの存在を安吾は意識しているのではないかと考える。
 スタンダールは十八世紀末から十九世紀にかけて活躍したフランスの作家であり、自伝『エゴチスムの回想』や『アンリ・ブリュラールの生涯』などによって近代に自伝ジャンルをもたらした先駆者ともいえる人物である。青年期にアテネ・フランセでフランス語を学んだ安吾が、このスタンダールの作品を愛読したことは広く知られている。今回の発表ではスタンダールと安吾の関連性という角度から坂口安吾の自伝的小説執筆の意図を論究していきたい。

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

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