〈情痴作家〉・安吾

室鈴香

今回の発表では、安吾文学が、敗戦直後の文壇ジャーナリズムにおいて、どのように受容されていたのかについて考えてみたいと思っている。時間的には、太宰治の自殺による新たな「神話」が誕生する以前の1946年、1947年のほぼ2年間に限定することにする。

安吾がこの2年間に発表した小説は、文庫版全集でいえば、第4巻、第5巻の約2巻分と第11巻の「不連続殺人事件」の途中まで、頁数にして優に1000頁を越える。また、評論・エッセイの類も約300頁、0,5巻分の分量となる。膨大な量である。代表的な作品としては「堕落論」(46・4)、「白痴」(46・6)、「外套と青空」(46・7)、「女体」(46・9)、「いずこへ」(46・10)「デカダン文学論」(46・10)、「恋をしに行く」(47・1)、「道鏡」(47・1)などがあり、同時代評においても、「白痴」や「堕落論」は、個別作品として取り上げられることが多い。

だが、今回は作品の受容史を探るのではなく、〈表象〉としての安吾がどのように流通していったのか、あるいは、どのような商標(レッテル)を貼られて流通していったのかを考察してみたい。おそらく、安吾が単独で流通していくというよりも、同時代作家との同一性や差異性を比定されながら受容されていくのであろう。周辺作家に対する安吾自身の反発や共感、あるいは、自身の受容のあり方に対する異議申し立て等も、流通のありかたに影響するのはいうまでもない。

周辺作家としては、永井荷風、織田作之助、舟橋聖一あたりが、キーワードとしては「情痴作家」「戯作/戯作者」あたりが想定される。「〈情痴作家〉・安吾」を、今回の特集テーマ「安吾と性」に接続させることができれば、幸いである。

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

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