ざわめく偽史たちの饗宴―再読・坂口安吾の古代史論

五味渕 典嗣

昭和天皇の死にかかわる一連の出来事は、天皇制研究にとっても新たな展開の契機となった。天皇を、均質な共同体を吊り支えるゼロ記号という機能=役割に還元してしまった文化記号論的な理解は後景化し、天皇位を占める個にかかわる問題が改めて問い直されたのである。その流れは、ムツヒト・ヨシヒト・ヒロヒト各人のキャラクターに向けられた関心や、一つの身体を天皇に相応しく仕立てていく儀礼=ページェントへの注目として具体化している。しかし、こうした状況下でなお論者たちは、坂口安吾の言葉をもて余しているように見受けられる。
もちろん、安吾の天皇(制)についての思索は、いくつかのテクストに分散的に存在していて、必ずしも一貫した・明確な像を結んではいない。そこで、本発表では、特に坂口安吾の古代史論を取り上げることで、論議のきっかけを作りたい。
わたしにとって興味深いのは、『安吾新日本地理』等での、安吾の古代史を語る語り口である。歴史を学ぶことは過去を告発し裁くことではないとして、法のレベルと道徳のレベルを短絡させてしまう近年の歴史修正主義者たちとは異なり、安吾は、証拠にもとづく仮説どうしの抗争の場という意味で、歴史学的探究と裁判の現場とを積極的に重ね合わせていく(『歴史探偵方法論』)。こうした明晰な方法意識に裏付けられた彼の議論は、海民・山民への注目など、のちの網野善彦の発想にも通じる可能性を持ちえていた。しかし彼は、それをいささかの韜晦をまじえた、巷談ふうの軽妙な口調で語り下ろしていくのである。少し言葉が強いかも知れないが、あえてわたしは、この安吾の選択を、《偽史》の試みと名づけてみたい。テクストの矛盾や欠落に介入し、余白や行間を押し広げるかのように書き込まれていく安吾の古代史論を、同時代の天皇制の再編成=再構築のプロセスを視野に入れながら、読み直すこと。会員諸氏のご教示をいただき、安吾の天皇(制)をめぐる思索の一端を明らかにできればと願っている。

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです)

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