「マルスの歌」から「黄金伝説」まで―石川淳とナショナリズム

山口俊雄

 石川淳「マルスの歌」(『文学界』1938・1)は「反軍的」として発禁処分に遭った。日中戦争下銃後の集団ヒステリー的な高揚に語り手が《NO!》を突きつけるこの作品が「反軍的」なのは紛れもないが、同時に、主要登場人物の一人、帯子に神功皇后の面影を重ね合わせるという技巧が仕組まれていたことにも注意しなければならない。
 敗戦後、今度は「黄金伝説」(『中央公論』1946・3)が、単行本収録時に占領軍によって全文削除処分に遭った。「プレス・コード」で禁じられていた "fraternization"(占領軍兵士と日本人女性との性的接触)を記述したからとされているが、ひそかに恋心を抱いていた女性が目の前で米軍兵に駆け寄って行った姿を見た語り手の抱いた感情は《ただ死ぬほどはづかしくなつて》というものであったことを忘れてはならない。
 いずれの処分もナショナリズムの急所に関わるものであることは論を俟たないが、ちょうどこれら二作品をほぼ上限・下限とする、ナショナリズムが猛威を振るった戦中期とは、石川淳の文学活動にとってどのような意味を持つ時期だったのか。戦後の展開も視野に収めつつ、「白描」「雪のはて」「平常心」「義経」「無尽灯」など戦中期に関わる諸作に触れながら考えてみたい。
 もちろん、この〈石川淳とナショナリズム〉というテーマが、〈坂口安吾とナショナリズム〉という研究集会のテーマにうまくつながるよう努力してみるつもりである。

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

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