「イノチガケ」及び「真珠」を中心に戦時下の坂口安吾を考える

川口奈央子

 一九四〇年、アジア太平洋戦争開戦一年前に坂口安吾は、日本におけるキリスト教伝来の様子とやがておこる迫害の状態をつづった歴史小説「イノチガケ」を発表した。前・後篇二部構成から成るこの作品は、安吾にとって初の歴史小説の試みであるとともに、長らく続いた“書けない”という停滞期をきりぬける端緒となった。作品は禁教時代にキリスト教宣教師たちが来れば必ず死ぬとわかっていても、尚潜入をやめない、潜伏布教、発覚、棄教をせまっての拷問という信者達の受難の歴史を扱っている。昭和一五年の発表もあって、これが死を賭しても物事を貫く、戦時下を生きる文学者の覚悟であると受け取められる事が多かった。しかし後の「死と鼻唄」(四一年)、「真珠」(四二年)とあわせて読むと、安吾が“殉教”を必ずしも讃美していない事が見えてくる。「思想を、仕事を、信仰を、命を棄ててもと自負する人は無限にいる」しかし一体誰が「『必ず死ぬ』ときまった時に」進めるものだろうか、とは「死と鼻唄」の一節であるが、これと全く同じ事が「真珠」でもくり返しのべられる。つまり言い換えると、死が確実に見える時人は進めないものだ、となる。又、この考えがドストエフスキーの「白痴」の中で描かれた思想と一致するのである。これはドストエフスキー自らがペトラシェフスキー事件で、処刑される寸前に解放された異常事件から出たもので、安吾も恐らく「白痴」の深い影響下によって「イノチガケ」を書いたに違いない。それが執筆後二度も「死と鼻唄」「真珠」で同じ事をくり返さなければならなかったのは、世の中が殉教精神――死ぬ事がえらい事である様な、あたかも死を奨励する態度に反発を覚えてだったのではないだろうか。
 本論はそういった事を、ドストエフスキーとの関連、「真珠」「死と鼻唄」から読みといていこうとするものである。

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

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