坂口安吾とダダ

神谷忠孝

 坂口安吾が文学的に出発するに際して大きくかかわったことのひとつにエリック・サティを通してのダダイズム受容がある。ダダ運動の創始者のひとりであるトリスタン・ツアラの「我等の鳥類」も翻訳していることからもダダへの関心の高さがうかがえる。「ピエロ伝道者」におけるナンセンス文学の主張には、辻潤の『ですぺら』(新作社、一九二四・七)所収のいくつかの文章をふまえているところがあって、ファルスへの意志は日本のダダ運動からの間接的影響が考えられる。
 安吾のダダ受容は辻潤、高橋新吉、吉行エイスケらが展開した運動とは別にフランスのダダ運動からの直輸入というおもむきがあった。ミッシェル・サヌイエ著『パリのダダ』(白水社、一九七九・八)にはエリック・サティの動向が詳しく書かれており安吾の「エリック・サティ補注」と重なるところがある。
 もう一つの視点として気になるのは、「風と光と二十の私と」で「私は少年時代から小説家になりたかったのだ」と書いている安吾が文学へまっすぐ進まず「さとり」を開くために印度哲学科に進んで仏教を学んだのはなぜかということである。高橋新吉も仏教からダダにはいっていることや、日本のダダイストが仏教に関心をよせたことと考え合わせてみる必要があるのではなかろうか。
 日本の一九二〇年代を風靡したマルクシズムは福本和夫が導くかたちで青年たちに主体の変革、すなわち自己をイデオロギーという他者にゆだねることを迫った。仏教の「さとり」も自己を脱却して我執を捨てることを説く。両者に共通する「無私」に注目することで一九二〇年代の思潮がみえてくる。

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

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