安吾の「はじまり」

武田信明

 たとえば安吾の初期作品を「木枯らしの酒倉から」「ふるさとに寄する讃歌」「風博士」「黒谷村」と列挙してみるなら、ひとまずこれらの作品群は、きわめて多様な様相を呈していると言えるかもしれない。つまり安吾は、その出発期において複数的な在り方を示していたのである。またそれらは出発期に限定されたことではなく、安吾文学に一貫するものではないかと考えることが可能である。しかし、それはあくまで、初期作品群を多様であるとする、ひとつの前提に依拠している。安吾の初期作品の多様性は、実は表面的なあらわれであり、その本質は、一つのことをめぐっているのではないか、そのように考えることは困難なのか。今回の発表では、小説家坂口安吾の「はじまり」における、それら「複数性/単数性」を、ひとつの論の中心に置く。
 この問題を思考するに際しては、いくつかの「関係」を参照してみたい。具体的に言うなら、牧野信一とE・A・ポーといった作家との関係である。「風博士」などの作品におけるポー経由のファルスの影響は自明のものとして認定されており、また安吾の初期における牧野信一の存在の重要性も同様に周知の事実である。しかし、ファルスの影響とは一体いかなるものなのであり、またそれはどのようにもたらされたのか、さらに牧野信一との遭遇とはどのような事件であったのか、その詳細は不明なことが多いであろう。これらの固有名詞が初期の安吾にどのような意味を与えたのか、あるいは与えなかったのか、今一度考えてみたい。不明なことが多いゆえに、理路は整然とせず、思考は渦巻きのように廻転することになるだろう。あらかじめ断っておく。

(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)

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