「生」をめぐる抗争―『吹雪物語』から「日本文化私観」へ―
加藤達彦
時代に抗い、勝利するにはどうしたらよいか。
安吾が文壇へのデビューを果たした一九三〇年代は、社会的にも政治的にも思想的に
も重大な事件が噴出し、これまでにもすでに、言わば時代の〈転形期〉としてそれぞ
れのトピックに即して様々な観点から論議がなされてきた。「ファルス」なる方法論
や独特な「ふるさと」の概念を醸成していった、この時期の安吾の文学的な営為は、
世間が〈不安〉を抱えながら大きく動揺し、思潮が渦を巻いてぶつかり合ったそうし
た時代と無縁ではないにしろ、しかし、にもかかわらず、常に一貫していたと言うこ
とができる。それは「生」をめぐる抗争の試みとしてあり、その姿勢は〈恋愛〉とい
うことがテーマにされた『吹雪物語』においても、戦時下、タウトを引き合いに出し
て独自の文化論を展開した「日本文化私観」においても変わらない。
〈満州事変〉から〈日中戦争〉、そして〈太平洋戦争〉へと至る過程の重要な問題系
の一つとして「日本」ということが挙げられるが、安吾はこの「日本」という問題に
対しても「人間」とその「生」を基準に据える態度を崩してはおらず、その意味で
『吹雪物語』と「日本文化私観」は明らかに連続している。事実、安吾はすでに一九
三〇年代の時点で「日本」をめぐって「枯淡の風格を排す」や「日本人に就て」、
「日本精神」等の作品を発表している。これら一九三〇年代の発言との関わりから
「日本文化私観」を捉え直してみるとき、安吾の主張には、従来、やや性急に〈戦
争〉と結びつけられる形で指摘されてきた事柄とは異なる意味を見出していくができ
るように思われる。
本発表では、以上のような視点のもと一九三〇〜四〇年代にかけての安吾の作品を手
掛かりにして、先に掲げた愚かにも見える疑問について考究してみたい。
(この発表要旨は研究集会に先だって会員に配布されたものです。)